『私がご案内いたします』
美月が近づいてきた。大人しそうな女性だというのが第一印象だ。美しいが地味なタイプに見えた。 館内を案内し部屋まで連れて案内してくれた。 『どうぞ、ごゆっくりとお過ごしくださいませ』 その言葉に心がこもっているような印象を受けた。夕食は、彼女が運んできてくれた。北海道の食材を使った会席料理で本当に美味しかった。まだ味覚が残っているなら俺には少し余裕があるのかもしれないと思った。
客室には露天風呂がありゆっくりと湯につかり、空を見上げると星が輝いていた。 俺の人生、しょぼかった。死ぬ気で生きてきたことがあっただろうか。 決められた運命を変えたいと思うなら、もっとできることはなかったのだろうか。 そんなことを思いながら部屋に戻ってきた。 しかし、今日で俺の人生を終わらせようと思って決意してここまでやってきたのだ。 さあ、どこでどうやって自らの命を絶とうか。そんなことを考えていたら悪寒がした。 真夜中だったが、体温計を借りたいとお願いすると、美月が持ってきたのだ。 『お待たせいたしました』 『当直なんですか?』 『いえ、私はここの家に育ててもらっていて……』 途中まで流暢に話していたのに突然言葉が終わってしまう。 あまりプライベートなことは話すなと教育でもされているのだろうか。 体温計を確認すると、三十八度の高熱だった。 『大変です。救急車をお呼びいたしましょう!』 命がなくなってしまってもいいと思っていた俺は、彼女の手をつかんだ。 『これぐらいの熱、平気です』 『しかし』 『実はもうすぐ人生を終わらせようと思っているんです。最後に話を聞いてもらえませんか?』 この時の俺は気が狂っていたのかもしれない。 誰かに話を聞いてもらいたくてたまらなかったのだ。 『私でよければ……』 『ありがとう』財閥の御曹司として生まれてきたこと、医者になりたかったこと、親の決められた道を歩いてきたこと。 好きでもない女性が寄ってきて嫌でたまらないこと、はじめて会った人に俺は全てを吐き出す。 話すと楽になった。スッキリして、力が抜けた。 なぜか美月には本心をぶつけることができたのだ。不思議だった。 彼女は、見ず知らずの俺の話を涙をポロポロと流しながら聞いてくれていた。『とても辛かったんですね……』『あぁ、辛かった。産まれてきた意味がわからなかった』 彼女の涙があまりにも美しかったから、頬を伝う雫を親指で拭った。『……他人のことなのに、泣いてくれてありがとう』 美月は頭を左右に振ってしばらく泣いていた。 時間が経過し落ち着いてくると赤くなった目でこちらを凝視した。『私に何かできることはないでしょうか?』 透き通るような綺麗な瞳で見つめられ、俺の心が桃色で染まっていくのがわかった。 温かいものが胸にじんわりと広がる。 なんだ、この感情は。 こんなに純真な心の持ち主に出会えたのは奇跡かもしれない。 俺はこれからも生きていかなければいけないと強く思えたのだ。 しかもこんなに可愛い女の子を泣かせてしまうなんて、俺は男として失格だ。
『私がご案内いたします』 美月が近づいてきた。大人しそうな女性だというのが第一印象だ。美しいが地味なタイプに見えた。 館内を案内し部屋まで連れて案内してくれた。『どうぞ、ごゆっくりとお過ごしくださいませ』 その言葉に心がこもっているような印象を受けた。 夕食は、彼女が運んできてくれた。北海道の食材を使った会席料理で本当に美味しかった。まだ味覚が残っているなら俺には少し余裕があるのかもしれないと思った。 客室には露天風呂がありゆっくりと湯につかり、空を見上げると星が輝いていた。 俺の人生、しょぼかった。死ぬ気で生きてきたことがあっただろうか。 決められた運命を変えたいと思うなら、もっとできることはなかったのだろうか。 そんなことを思いながら部屋に戻ってきた。 しかし、今日で俺の人生を終わらせようと思って決意してここまでやってきたのだ。 さあ、どこでどうやって自らの命を絶とうか。そんなことを考えていたら悪寒がした。 真夜中だったが、体温計を借りたいとお願いすると、美月が持ってきたのだ。『お待たせいたしました』『当直なんですか?』『いえ、私はここの家に育ててもらっていて……』 途中まで流暢に話していたのに突然言葉が終わってしまう。 あまりプライベートなことは話すなと教育でもされているのだろうか。 体温計を確認すると、三十八度の高熱だった。『大変です。救急車をお呼びいたしましょう!』 命がなくなってしまってもいいと思っていた俺は、彼女の手をつかんだ。『これぐらいの熱、平気です』『しかし』『実はもうすぐ人生を終わらせようと思っているんです。最後に話を聞いてもらえませんか?』 この時の俺は気が狂っていたのかもしれない。 誰かに話を聞いてもらいたくてたまらなかったのだ。『私でよければ……』『ありがとう』
自分の部屋に入った美月を見送ると、仕事に取りかかるため書斎に入った。 義堂財閥の一人息子として生まれてきた俺は、幼い頃から親の決めたレールの上を歩かされていた。 やりたいことを素直に言えず、自分が生まれてきた意味がわからなかった。 俺は、医者になりたかった。 幼い頃に母が体調を崩し入院し、その時に世話になった医者がすごく優しくて、親切で憧れた。 その夢を父に伝えると『何を言っているんだ。そんなことを言っている暇があれば経営の勉強でもしろ』と叱責されてしまった。 それから自分の価値というものを考えるようになり、だんだんと心の中に負の感情が溜まっていったのだ。 五年前、もう死んでしまいたいと思っていた。 親の主催するパーティーに連れ回され、将来の社長だと挨拶をさせられる日々。 大学に行けば財閥の息子だからと女が寄ってきて、好きだとか告白される毎日。 うんざりだった。 そしてついになんで生きているのかわからなくなってしまったのだ。 こんな人生であれば、産まれた意味などない。親の駒として生きるのはうんざりだった。 最後に北海道を旅行して俺の人生は終わりにしようと決意をした。 今思えば浅はかな考えだったとは思うが、当時の俺は本気でそう思ってしまうほど追い詰められていたのだ。 家から抜け出して急いで空港に向かい、飛行機に乗り函館に到着した。北海道の冬は空気が冷たくて身震いした。 昔から気になっていた湯の川温泉にある老舗旅館に予約を入れておいた。女将が三つ指をついて丁寧に頭を下げてくれる。 内心はこんな若造が一人で宿泊とはなんだろうと疑問に思っていたのではないだろうか。しかし完璧な笑顔を浮かべて『ようこそおいでくださいました、ごゆっくりなさっていってください』と言われた。 俺は頭を下げて旅館の中に入っていく。重厚な歴史ある建物に感動を覚えていたが、声が聞こえた。『美月、あんたが案内しなさい。あのお客様、あんなに若いのにお一人で泊まるなんて様子がおかしいから見張っておきなさいよ』『……はい』『うちで自殺でもされたら面倒なことになるから』 ものすごい上から目線の口調だと思ったし、仮にも客がいるのに聞こえていないと思っているのか? あんな口調で言うのはどうなんだ。
まるでテレビドラマで見ているかのような景色だ。「昼になると緑も見えるんだ。北海道にいたから自然も必要かと思って、ここを選ばせてもらったんだ」 私のことを気遣うような発言に、胸がキュンとする。 その後、3LDK+2WICの部屋を案内してくれた。「この部屋は仕事で使わせてほしい。ベッドルームが二つあるのだが、美月も一人でゆっくりしたい時間もあるだろう。ここは好きなように使ってくれ」「こんなに立派な部屋を提供していただいてもいいんですか?」 私が言うと彼は厳しい表情を浮かべた。「あんなに大きな旅館のお嬢さんだったのに、あれからもやっぱりそういう扱いしか受けていなかったんだな」 私はハッとしてうつむく。 あまり両親のことを悪く言ってはいけない気がしたのだ。 悠一さんと出会った頃は辛くて思わず自分の気持ちを話してしまった。 まだ十七歳だったということもあり、そのことは許してほしい。「できれば夫婦として寝室で一緒に眠りたいところだが、少しずつでいい。この生活に慣れたら一緒に眠ろう。食事は家政婦が用意してくれるが、自分で作りたかったら自由にキッチンも使っていいし。ここは美月が安心して暮らせる自分の家だ」 大切に思ってくれているのが伝わって胸がふわりと温かくなってきた。 でも母が言っていたように、おじい様の体調が悪いから、安心させるために早く結婚したかったのだろうか。 愛があって私と結婚したのではない。 出会いから五年も過ぎている。変な期待はしちゃいけない。「美月、いきなりの東京の生活で不安なこともあると思うが、不安なことがあれば遠慮なく言ってくれよ」「ありがとうございます」 愛情がなくても人に優しくすることはできるかもしれない。 だから悠一さんを好きにならないようにしなければ……。 その夜はケータリングで食事を用意してくれたが、ほとんど食べることができずに私は自分の部屋に行って眠りについたのだった。
東京に到着した。 「車が迎えに来てるからこっち」 「……はい」 空港から外に出ると空気がじめっとしていて肌にまとわりつくような感覚だった。 いかにも高級車という感じで運転士がドアを開けて待っていてくれた。 「美月、乗って」 レディーファーストで背中をそっと押して乗せてくれる。突然の出来事で疲れてしまったのもあるし、不安と恐怖心で体がガチガチになっていた。 到着したのは渋谷にあるタワーマンション。 東京には首が痛くなるほどの高層の建物がたくさんあったが、中でもここのマンションは一番高く見える。 エントランスに入るとコンシェルジュが待機していた。 厳重なオートロックを越えると、エレベーターホールがあり、最上階のボタンを押した。 「実家はここから車で十五分くらいのところに一軒家がある。そこに住んでもいいが、新婚生活は二人で暮らしたいなと思って家を決めさせてもらった。もし気に入らなければ引っ越しするのも構わないし、今後、家を建ててもいい」 私は恐縮しすぎてまともに会話すらできなくなっている。 黙って後ろをついていきカードキーでドアを開けると、広い玄関があった。 入るのに躊躇していると優しく背中を押してくれる。 中に足を踏み入れると、明かりがパッとついた。 左に曲がると長い廊下があり、まっすぐ進めば二十畳はある広いリビングダイニングがあった。 こんなところで生活するなんて信じられなくて夢でも見ているようだ。リビングからは広いバルコニーがあって、そこでくつろげる空間もある。 窓からは夜景が広がっていた。
神前に行き、まっすぐ前を見る。 神職が祓詞を述べ、身を清めてくれる。 神職が神に結婚を報告し、祈りを捧げてくれた。 三々九度の盃は緊張でこぼしてしまわないか呼吸を整えるので精一杯だった。いまだに夢か現実かわからない状態で私はこの場に立っていた。 滞りなく式は終わり、旅館自慢の日本庭園で記念撮影をして終了となった。 悠一さんのお父様は、スケジュールが立て込んでいるようで先に帰るようだ。奥様も一緒みたい。 「東京でゆっくりお茶でもしましょうね」 「ありがとうございます。楽しみにしています」 両親を見送ると私はすぐに着替えを済ませた。 母がまとめていた荷物を手に持つ。たった一つのボストンバッグのみ。 「契約がなくならないように、ちゃんと機嫌を取りながら結婚生活を送ってくるんだよ」 最後の最後まで母は私に冷たい言葉を投げかけている。 「はい」 頭を下げた。 母に愛情はなかったのだ。昔からわかっていたことだけど胸の奥から悲しみが湧き上がってくる。 「ほら、行くよ」 私と母は玄関へと向かった。 もうここを出たら、たとえ悠一さんと離婚をしたとしても、戻ってこないと決意を固める。 「今まで育ててくださり、ありがとうございました」 両親は私に冷ややかな視線を向けていた。 そんな私の背中を悠一さんはそっと支えてくれる。 「美月さんのことは、責任を持って幸せにするのでご安心ください。美月、そろそろ行こうか」 私と悠一さんは迎えに来ていた車に乗り込んだ。 そのまま空港へと向かう。 不安でたまらない。うつむいていると大きな手で私の手を包み込んでくれる。 「冷たくなっている」 「飛行機に乗るのが初めてなので緊張しているんです」 「そうか。俺がそばにいるから何も心配することはないさ」 飛行機もそうだし、東京に行くのも初めてだし、男の人と二人で暮らすというのも初体験で、頭の中が混乱してパニックを起こしそうになっていた。